
ペリン・デル・ヴァーガ 2
ヴァーガは1520年代初期に、フィレンツェとローマのマニエラを合わせた大様式をつくり上げた。その根底にある古典主義的安定性は君主たちの宮廷的壮大趣味に受け入れられ、続くヴァザーリやサルヴィアーティに影響を与えた。
1527年の「ローマ劫掠」によって仕事がなくなったヴァーガは、ジェノヴァのドーリア家の宮殿の装飾をおこなった。アンドレア・ドーリアはカール5世の庇護を受けて、ジェノヴァを守ることができ、その政治的「勝利」を宮殿装飾に示そうとした。装飾の意匠はパオロ・ジョヴィオの考案で、カール5世の支配下で、海神アンドレア・ドーリアによって英雄の黄金時代が復活するというもの。「巨人の間」の天井には、同時期のジュリオ・ロマーノの主題・構想とおなじ「巨人族の没落」が描かれた。
1527年の「ローマ劫掠」によって仕事がなくなったヴァーガは、ジェノヴァのドーリア家の宮殿の装飾をおこなった。アンドレア・ドーリアはカール5世の庇護を受けて、ジェノヴァを守ることができ、その政治的「勝利」を宮殿装飾に示そうとした。装飾の意匠はパオロ・ジョヴィオの考案で、カール5世の支配下で、海神アンドレア・ドーリアによって英雄の黄金時代が復活するというもの。「巨人の間」の天井には、同時期のジュリオ・ロマーノの主題・構想とおなじ「巨人族の没落」が描かれた。
1537年、ヴァーガはローマに戻り、教皇パウルス3世(在位1534〜49)のためにサンタンジェロ城の装飾をおこなった。ほかのマニエリストの協力を得て、絵画、彫刻、建築を融合させた。ラファエロやミケランジェロの形態と様式の折衷、古代を主題にした君主の栄光化を目的とする、16世紀後半の宮廷的・装飾的大様式の基礎がつくられた。
世界美術大全集15 マニエリスム
ペリン・デル・ヴァーガ 1 人物略歴
ペリン・デル・ヴァーガ
サーラ・パオリーナ(教皇パウルス3世の部屋)の装飾 モノクロ
1545〜47年 フレスコ
ローマ サンタンジェロ城の装飾
世界美術大全集15 マニエリスム
ペリン・デル・ヴァーガ 1 人物略歴
サーラ・パオリーナ(教皇パウルス3世の部屋)の装飾 モノクロ
1545〜47年 フレスコ
ローマ サンタンジェロ城の装飾
